kuge’s diary

源氏物語を研究している久下からのお知らせです。

久下研究室のHP→http://www.ne.jp/asahi/kuge/h/

『知の遺産 宇治十帖の新世界』掲載の拙論について

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 実践女子大学の横井孝教授とともに編集した『知の遺産 宇治十帖の新世界』が予定通り3月に上梓できました。執筆された先生方にはまずもって感謝の意を表したいと存じます。

 それにしても久下が担当した「浮舟設定と入水前後」及び「宇治十帖と国宝『源氏物語絵巻』」には如上の「学苑」の原稿と同じく充分な完成度を示すことができませんでした。誠に申し訳ない次第です。

 前者では浮舟と夕顔との関係性において、白居易の『新学府』「陵園妾」の引用等、新間一美氏の「夕顔の誕生と漢詩文―「花の顔」をめぐって―」(『源氏物語の探究 第十輯』)を注に掲示すべきでしたがこれも失念しました。幸にも本書新間氏担当の「宇治十帖と漢文詩世界」をみると、ご自身の論考を取り上げて説明されていましたので、ひとまず安堵しています。

 さらに後者では河添房江氏の「「橋姫」の段の多層的時間―物語の《記憶》をめぐって―」(「文学」平成18〈2006〉年、9・10月)を取り上げずに『源氏物語絵巻』〈橋姫〉図について論述したことは大失態だと思っています。

 河添氏の言う多層的時間は異時同図法という技法では十分に説明できない相当に隔たる時間の融合体としての絵画表出で、特に河添氏が「徳川・五島本「源氏物語絵巻」は、『源氏物語』を知らない者が作品の筋を知るために享受するものではなく、『源氏物語』を知りに知りつくした者が楽しめる絵巻である。」との認識は首肯できる点で、だからこそ重層的時間を含み持つ『源氏物語絵巻』の深い文学性が評価されるのだと思います。こうした優れた論考を取り上げずに論じた拙稿は誠に恥ずかしい限りです。あらためて河添氏にも読者に対しても謝りたいと思います。

 ついでにただ少し河添論考について申し上げておくと、〈橋姫〉図においてなぜ薫は狩衣姿ではなく、冠直衣姿で描かれているのかの河添氏の読み解きには賛成できない点もあります。露に濡れた狩衣姿ではなく、直衣姿にわざわざ薫が着替えて、〈かいま見〉しているのは、京から取り寄せたというよりも、八の宮に会うことを前提としていれば、薫は正装に着替えるためにあらかじめ用意していたのでしょう。それで誠実な薫の性格が浮き彫りになるのではないでしょうか。その間の時間経過を含んだ図像形成という〈橋姫〉図を評価したいと思います。

私のお宝紹介(5)

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 拙著『物語絵・歌仙絵を読む―附『歌仙絵抄』『三十六歌仙歌合画帖』』(武蔵野書院)のカバーに使った絵は奈良絵切『伊勢物語』〈河内越〉図で〈かいま見〉の構図として最もよく知られている。

 『伊勢物語』第23段〈筒井筒〉の後半に位置する「風吹けば沖つしら浪立つた山夜半にや君がひとりこゆらむ」と女が詠む場面につながる構図である。

 この場面の図様としては、やはり秀逸なのは宗達筆『伊勢物語色紙絵』だろう。これについては拙著『源氏物語絵を読む―物語絵の視界』(笠間書院)で既に述べてある。

私のお宝紹介(4)

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 拙著『源氏物語の記憶―時代との交差』(武蔵野書院)のカバーの絵は「紫式部石山寺参籠図」で『源氏物語』執筆時の構図である。

 この図様としては考えるシリーズ①『王朝女流日記を考える―追憶の風景』(武蔵野書院)のカバーで使った石山寺蔵「紫式部図」(土佐光起筆)と類同する状況となっている。

 この掛軸は松と紅葉が装飾的効果を上げ、はなやかなたたずまいとなって描かれている。

 ただ私の所有であったのは昨年までで、今は実践女子大学に寄贈して手元にはない。

 

私のお宝紹介(3)

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 葵巻で祭の日、源氏は紫の君と見物に出るにあたって、髪削ぎの儀を行った。成女式であろう。この源氏絵の場面は碁盤上に紫の君を立たせていて、現在でも皇族の方が行う儀式である。

 作例に承応三年版『絵入源氏物語』や伝宗達屏風絵などがある。詳しくは久下『源氏物語絵巻を読む―物語絵の視界』(笠間書院)参照。

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私のお宝紹介(2)

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 ここに紹介するのも前回(1)と同じく《斎宮女御徽子》図ですが、図柄は全く異なります。几帳の陰に横になっているのが女御ですが、その頭部がわずかに見えているだけです。この図柄で最もよく知られているのは、斎宮歴史博物館蔵の住吉具慶筆《斎宮女御》図です。この図では寝姿ながら目まで描かれています。私のお宝の方は残念ながらまぶたを閉じた目までは描かれていません。

 もう一つ残念なのは画中歌が「袖にさへ秋のゆふべ(は)しられけり消えしあさちが露をかけつつ」であって、寝姿に対応する歌としては「ぬる夢にうつつのうさもわすられておもひなぐさむほどぞはかなき」が想定されています。画中歌とその図像が異なるのはいかにもその芸術性が損なわれてしまいます。

 その一つがいっしょに掲出した『三十六歌仙歌合画帖』の《斎宮女御》図です。これは既に拙著『物語絵・歌仙絵を読む』(武蔵野書院、2014年)に全図が資料として所載されています。その歌は有名な「琴の音に」です。寝姿に「琴の音」では寝られませんし、お宝の掛軸の歌では秋の夕べの感傷がこの図柄では一致しないでしょう。

f:id:kuge-h:20180410163850j:plain三十六歌仙歌合画帖)

 こうした歌仙絵はまず詠歌と一体となった形で評価されなければなりません。そうとすれば、私のお宝は本当の意味でのお宝とは言えません。残念なことですが。

私のお宝紹介(1)

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 お正月も近くなってきましたが、みなさんも『小倉百人一首』などの絵札の画像で平安王朝人の衣装などに興味を持たれることでしょう。ここに紹介するのは私のお宝のひとつで「斎宮女御徽子」図の掛軸1幅です。

 既に「絵画の中の〈泣く〉しぐさ考」―佐竹本二十六歌仙絵と国宝・源氏物語絵巻を中心に―」(考えるシリーズ②『物語絵・歌仙絵を考える―変容の軌跡』武蔵野書院、2011年)のカバーの袖に軸装を掲載し、また考えるシリーズ⑤『王朝の歌人たちを考える―交遊の空間』でも表紙カバーにそのカットを用いました。

 本来、佐竹本の図像も「琴の音に峰の松風かよふらしいづれの緒よりしらべそめけむ」に対応するなら、当然私の架蔵の掛軸の図像になるはずであったのに拘らず、違う図像であるところに疑問があり、その謎を私の論文で解明しているのですが、なかなか一般の読者の方は関心をもっていただけないようです。

 それはともかく絵をお楽しみください。作者は土佐光芳です。土佐派は江戸時代、源氏絵でその優雅な力作を数多く残しています。