拙著『物語絵・歌仙絵を読む―附『歌仙絵抄』『三十六歌仙歌合画帖』』(武蔵野書院)のカバーに使った絵は奈良絵切『伊勢物語』〈河内越〉図で〈かいま見〉の構図として最もよく知られている。
『伊勢物語』第23段〈筒井筒〉の後半に位置する「風吹けば沖つしら浪立つた山夜半にや君がひとりこゆらむ」と女が詠む場面につながる構図である。
この場面の図様としては、やはり秀逸なのは宗達筆『伊勢物語色紙絵』だろう。これについては拙著『源氏物語絵を読む―物語絵の視界』(笠間書院)で既に述べてある。
拙著『物語絵・歌仙絵を読む―附『歌仙絵抄』『三十六歌仙歌合画帖』』(武蔵野書院)のカバーに使った絵は奈良絵切『伊勢物語』〈河内越〉図で〈かいま見〉の構図として最もよく知られている。
『伊勢物語』第23段〈筒井筒〉の後半に位置する「風吹けば沖つしら浪立つた山夜半にや君がひとりこゆらむ」と女が詠む場面につながる構図である。
この場面の図様としては、やはり秀逸なのは宗達筆『伊勢物語色紙絵』だろう。これについては拙著『源氏物語絵を読む―物語絵の視界』(笠間書院)で既に述べてある。
拙著『源氏物語の記憶―時代との交差』(武蔵野書院)のカバーの絵は「紫式部石山寺参籠図」で『源氏物語』執筆時の構図である。
この図様としては考えるシリーズ①『王朝女流日記を考える―追憶の風景』(武蔵野書院)のカバーで使った石山寺蔵「紫式部図」(土佐光起筆)と類同する状況となっている。
この掛軸は松と紅葉が装飾的効果を上げ、はなやかなたたずまいとなって描かれている。
ただ私の所有であったのは昨年までで、今は実践女子大学に寄贈して手元にはない。
ここに紹介するのも前回(1)と同じく《斎宮女御徽子》図ですが、図柄は全く異なります。几帳の陰に横になっているのが女御ですが、その頭部がわずかに見えているだけです。この図柄で最もよく知られているのは、斎宮歴史博物館蔵の住吉具慶筆《斎宮女御》図です。この図では寝姿ながら目まで描かれています。私のお宝の方は残念ながらまぶたを閉じた目までは描かれていません。
もう一つ残念なのは画中歌が「袖にさへ秋のゆふべ(は)しられけり消えしあさちが露をかけつつ」であって、寝姿に対応する歌としては「ぬる夢にうつつのうさもわすられておもひなぐさむほどぞはかなき」が想定されています。画中歌とその図像が異なるのはいかにもその芸術性が損なわれてしまいます。
その一つがいっしょに掲出した『三十六歌仙歌合画帖』の《斎宮女御》図です。これは既に拙著『物語絵・歌仙絵を読む』(武蔵野書院、2014年)に全図が資料として所載されています。その歌は有名な「琴の音に」です。寝姿に「琴の音」では寝られませんし、お宝の掛軸の歌では秋の夕べの感傷がこの図柄では一致しないでしょう。
(三十六歌仙歌合画帖)
こうした歌仙絵はまず詠歌と一体となった形で評価されなければなりません。そうとすれば、私のお宝は本当の意味でのお宝とは言えません。残念なことですが。
お正月も近くなってきましたが、みなさんも『小倉百人一首』などの絵札の画像で平安王朝人の衣装などに興味を持たれることでしょう。ここに紹介するのは私のお宝のひとつで「斎宮女御徽子」図の掛軸1幅です。
既に「絵画の中の〈泣く〉しぐさ考」―佐竹本二十六歌仙絵と国宝・源氏物語絵巻を中心に―」(考えるシリーズ②『物語絵・歌仙絵を考える―変容の軌跡』武蔵野書院、2011年)のカバーの袖に軸装を掲載し、また考えるシリーズ⑤『王朝の歌人たちを考える―交遊の空間』でも表紙カバーにそのカットを用いました。
本来、佐竹本の図像も「琴の音に峰の松風かよふらしいづれの緒よりしらべそめけむ」に対応するなら、当然私の架蔵の掛軸の図像になるはずであったのに拘らず、違う図像であるところに疑問があり、その謎を私の論文で解明しているのですが、なかなか一般の読者の方は関心をもっていただけないようです。
それはともかく絵をお楽しみください。作者は土佐光芳です。土佐派は江戸時代、源氏絵でその優雅な力作を数多く残しています。