kuge’s diary

源氏物語を研究している久下からのお知らせです。

久下研究室のHP→http://www.ne.jp/asahi/kuge/h/

私のお宝紹介(10)

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 絵入版本『伊勢物語』(元禄九年、大和田安兵衛版)の第五段〈関守〉図です。一般に知られれいるのは、右図のような嵯峨本の図様ですが、これは護衛の武士たちが眠りこけているところをうかがう業平を背後から描いているところに特徴があります。

 当段の歌では「人しれぬわが通ひ路の関守はよひよひごとにうちも寝ななむ」と、見張りの番人に眠ってくれることを期待しているのに、絵ではすっかり眠ってしまっている姿形を描くのは、本文との矛盾といえるでしょう。

私のお宝紹介(9)

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 上の掛け軸は『紫式部石山寺参籠図』と言われる作品で、『石山寺縁起絵巻』などで知られる『源氏物語』の着想を石山寺での参籠で得て、須磨・明石巻から物語を書き始めたという中世の伝承を根拠とする作例です。

 この掛け軸は実を言いますと、拙著『源氏物語の記憶―時代との交差』(武蔵野書院、2017年)のカバー表紙に使用後、ゆえあって実践女子大学に寄贈してしまいましたので、残念ながら、現在私の手元にはありません。

近況

昭和女子大学紀要「学苑」8月号(平成30年8月)に拙論「『源氏物語』成立の真相・序―紫式部具平親王家初出仕説の波紋―」を親交のある先生方に贈ったところ、その礼状のいくつかに続稿を期待するとの旨が書かれてあった。それが真意かどうか計りかねるが、少なくとも拙著『源氏物語の記憶―時代との交差』(武蔵野書院、2017年)を既に送ってあるはずで、その「Ⅰ『源氏物語』宇治十帖の記憶」の各論文を読んでいれば、今回の表題のよってくるところは推察できるし、また期待される「宇治十帖成立の真相」についても結論はでているのである。今回の論はあらためて異なる資料などを用いて、それを証明していくところにあって、最初から一書として上梓するために書き始めた論稿ということになる。ただ気力・体力ともに減退し、すべての原稿を書き終えることができないかもしれないので、同拙著にその結論、またそこに至る論証も既に公にしていることを是非承知してもらいたいし、せっかく献上しているのだから、同書をよく読んでいただきたいとの感懐を記しておくことにしたい。

私のお宝紹介(8)狭衣物語の古筆切

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 上掲、左は『平安文学の新研究―物語絵と古筆切を考える』(新典社、平成18〈2006〉年)の「『狭衣物語』の古筆切について―飛鳥井雅章筆本との関連―」執筆のため、その参考資料として口絵にカラーで掲載し、のちに単著である『王朝物語文学の研究』(武蔵野書院、平成2〈2012〉年)に同論考を収蔵するので、同書の口絵にも、伝藤原為家筆『源氏歌集』巣守断簡とともにカラーで掲載した。そこで、これらの古筆切は研究上の役割りを終えたとして、実践女子大学に寄贈することとなった。

 つまり、両書のカラー口絵には久下架蔵とされているが、いまは実践女子大学蔵としなければならない。

 そして、上掲、右の古筆切は左のツレと思われるもので、ここに取り上げたのも、それが一つの理由で、こうなるとやはり少し早く手放しすぎたと後悔している。

 そもそも定年後に論文を書くということは止めようと思っていたので、現在こういう状況で、論文を書いているのは、全く予定外のことなのだ。

 つまり、右の伝為明筆と思われる断簡をわざわざ購入したのも、本年3月に横井孝と共編で出した『宇治十帖の新世界』(武蔵野書院、平成30〈2018〉年)につづけて来年度は『狭衣物語の新世界』を、編者に倉田実・後藤康文両氏をむかえて、出すつもりで、久下も編者として二本の論文を書かねばならないことになっている。その一本のタイトルが「『狭衣物語』の古筆切」なのである。

 そこで何も新しい手持ちの古筆切がないのでは、論文を書くにしても、はなやかさがないし、面白くもないので、潮音堂(京都)から送られてきた新しい目録に右の古筆切が掲載されていたので、やむを得ず購入したという次第なのだ。

 しかも金銀箔の装飾紙とはいえ左の一面とは違ってたった五行の断簡で25万円なのであった。これはいかにも高値で、他の目録に掲載されている古筆切が5~6万であるのに、それほどの値のつく代物とはとても思えないのだが、論文に花を添える意味でも、あれこれ言わず、早速購入したという次第なのである。

 収入のない年金生活者が、つつましやかな生活をしなければならない道理なのに、なんとした無駄遣いをしたことであろうか。

私のお宝紹介(7)歌仙絵抄

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 当該『歌仙絵抄』は、拙著『物語絵・歌仙絵を読む』(武蔵野書院)に既に『三十六歌仙歌合画帖』とともに公開してあります。あらためてここに〈平兼盛〉図と〈紀貫之〉図を掲出しておきますのは、別に架蔵する歌仙絵〈紀貫之〉図と比較してもらうためです。

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 代表的な歌仙絵〈紀貫之〉図としては、ご周知の『三十六歌仙絵巻』の一図ですが、その系譜上に『歌仙絵抄』の〈紀貫之〉図や〈斎宮女御徽子〉図がある訳です。

 ところが当図のように掲出歌「桜ちる木の下かぜはさむからで空にしられぬ雪ぞ降ける」が同じでありながら、全く異なる姿態に描かれる図様が一方に存在しています。

 その容態は威風堂々とした面影が一変して、何やら気落ちした貫之が描かれています。晩年の貫之は支援してくれた定方や兼輔を失い、『古今和歌集』選出時の気迫に欠け見劣りするのもやむを得ない状況にあったと言えましょう。

『知の遺産 宇治十帖の新世界』掲載の拙論について

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 実践女子大学の横井孝教授とともに編集した『知の遺産 宇治十帖の新世界』が予定通り3月に上梓できました。執筆された先生方にはまずもって感謝の意を表したいと存じます。

 それにしても久下が担当した「浮舟設定と入水前後」及び「宇治十帖と国宝『源氏物語絵巻』」には如上の「学苑」の原稿と同じく充分な完成度を示すことができませんでした。誠に申し訳ない次第です。

 前者では浮舟と夕顔との関係性において、白居易の『新学府』「陵園妾」の引用等、新間一美氏の「夕顔の誕生と漢詩文―「花の顔」をめぐって―」(『源氏物語の探究 第十輯』)を注に掲示すべきでしたがこれも失念しました。幸にも本書新間氏担当の「宇治十帖と漢文詩世界」をみると、ご自身の論考を取り上げて説明されていましたので、ひとまず安堵しています。

 さらに後者では河添房江氏の「「橋姫」の段の多層的時間―物語の《記憶》をめぐって―」(「文学」平成18〈2006〉年、9・10月)を取り上げずに『源氏物語絵巻』〈橋姫〉図について論述したことは大失態だと思っています。

 河添氏の言う多層的時間は異時同図法という技法では十分に説明できない相当に隔たる時間の融合体としての絵画表出で、特に河添氏が「徳川・五島本「源氏物語絵巻」は、『源氏物語』を知らない者が作品の筋を知るために享受するものではなく、『源氏物語』を知りに知りつくした者が楽しめる絵巻である。」との認識は首肯できる点で、だからこそ重層的時間を含み持つ『源氏物語絵巻』の深い文学性が評価されるのだと思います。こうした優れた論考を取り上げずに論じた拙稿は誠に恥ずかしい限りです。あらためて河添氏にも読者に対しても謝りたいと思います。

 ついでにただ少し河添論考について申し上げておくと、〈橋姫〉図においてなぜ薫は狩衣姿ではなく、冠直衣姿で描かれているのかの河添氏の読み解きには賛成できない点もあります。露に濡れた狩衣姿ではなく、直衣姿にわざわざ薫が着替えて、〈かいま見〉しているのは、京から取り寄せたというよりも、八の宮に会うことを前提としていれば、薫は正装に着替えるためにあらかじめ用意していたのでしょう。それで誠実な薫の性格が浮き彫りになるのではないでしょうか。その間の時間経過を含んだ図像形成という〈橋姫〉図を評価したいと思います。