kuge’s diary

源氏物語を研究している久下からのお知らせです。

久下研究室のHP→http://www.ne.jp/asahi/kuge/h/

私のお宝紹介(8)狭衣物語の古筆切

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 上掲、左は『平安文学の新研究―物語絵と古筆切を考える』(新典社、平成18〈2006〉年)の「『狭衣物語』の古筆切について―飛鳥井雅章筆本との関連―」執筆のため、その参考資料として口絵にカラーで掲載し、のちに単著である『王朝物語文学の研究』(武蔵野書院、平成2〈2012〉年)に同論考を収蔵するので、同書の口絵にも、伝藤原為家筆『源氏歌集』巣守断簡とともにカラーで掲載した。そこで、これらの古筆切は研究上の役割りを終えたとして、実践女子大学に寄贈することとなった。

 つまり、両書のカラー口絵には久下架蔵とされているが、いまは実践女子大学蔵としなければならない。

 そして、上掲、右の古筆切は左のツレと思われるもので、ここに取り上げたのも、それが一つの理由で、こうなるとやはり少し早く手放しすぎたと後悔している。

 そもそも定年後に論文を書くということは止めようと思っていたので、現在こういう状況で、論文を書いているのは、全く予定外のことなのだ。

 つまり、右の伝為明筆と思われる断簡をわざわざ購入したのも、本年3月に横井孝と共編で出した『宇治十帖の新世界』(武蔵野書院、平成30〈2018〉年)につづけて来年度は『狭衣物語の新世界』を、編者に倉田実・後藤康文両氏をむかえて、出すつもりで、久下も編者として二本の論文を書かねばならないことになっている。その一本のタイトルが「『狭衣物語』の古筆切」なのである。

 そこで何も新しい手持ちの古筆切がないのでは、論文を書くにしても、はなやかさがないし、面白くもないので、潮音堂(京都)から送られてきた新しい目録に右の古筆切が掲載されていたので、やむを得ず購入したという次第なのだ。

 しかも金銀箔の装飾紙とはいえ左の一面とは違ってたった五行の断簡で25万円なのであった。これはいかにも高値で、他の目録に掲載されている古筆切が5~6万であるのに、それほどの値のつく代物とはとても思えないのだが、論文に花を添える意味でも、あれこれ言わず、早速購入したという次第なのである。

 収入のない年金生活者が、つつましやかな生活をしなければならない道理なのに、なんとした無駄遣いをしたことであろうか。

私のお宝紹介(7)歌仙絵抄

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 当該『歌仙絵抄』は、拙著『物語絵・歌仙絵を読む』(武蔵野書院)に既に『三十六歌仙歌合画帖』とともに公開してあります。あらためてここに〈平兼盛〉図と〈紀貫之〉図を掲出しておきますのは、別に架蔵する歌仙絵〈紀貫之〉図と比較してもらうためです。

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 代表的な歌仙絵〈紀貫之〉図としては、ご周知の『三十六歌仙絵巻』の一図ですが、その系譜上に『歌仙絵抄』の〈紀貫之〉図や〈斎宮女御徽子〉図がある訳です。

 ところが当図のように掲出歌「桜ちる木の下かぜはさむからで空にしられぬ雪ぞ降ける」が同じでありながら、全く異なる姿態に描かれる図様が一方に存在しています。

 その容態は威風堂々とした面影が一変して、何やら気落ちした貫之が描かれています。晩年の貫之は支援してくれた定方や兼輔を失い、『古今和歌集』選出時の気迫に欠け見劣りするのもやむを得ない状況にあったと言えましょう。

『知の遺産 宇治十帖の新世界』掲載の拙論について

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 実践女子大学の横井孝教授とともに編集した『知の遺産 宇治十帖の新世界』が予定通り3月に上梓できました。執筆された先生方にはまずもって感謝の意を表したいと存じます。

 それにしても久下が担当した「浮舟設定と入水前後」及び「宇治十帖と国宝『源氏物語絵巻』」には如上の「学苑」の原稿と同じく充分な完成度を示すことができませんでした。誠に申し訳ない次第です。

 前者では浮舟と夕顔との関係性において、白居易の『新学府』「陵園妾」の引用等、新間一美氏の「夕顔の誕生と漢詩文―「花の顔」をめぐって―」(『源氏物語の探究 第十輯』)を注に掲示すべきでしたがこれも失念しました。幸にも本書新間氏担当の「宇治十帖と漢文詩世界」をみると、ご自身の論考を取り上げて説明されていましたので、ひとまず安堵しています。

 さらに後者では河添房江氏の「「橋姫」の段の多層的時間―物語の《記憶》をめぐって―」(「文学」平成18〈2006〉年、9・10月)を取り上げずに『源氏物語絵巻』〈橋姫〉図について論述したことは大失態だと思っています。

 河添氏の言う多層的時間は異時同図法という技法では十分に説明できない相当に隔たる時間の融合体としての絵画表出で、特に河添氏が「徳川・五島本「源氏物語絵巻」は、『源氏物語』を知らない者が作品の筋を知るために享受するものではなく、『源氏物語』を知りに知りつくした者が楽しめる絵巻である。」との認識は首肯できる点で、だからこそ重層的時間を含み持つ『源氏物語絵巻』の深い文学性が評価されるのだと思います。こうした優れた論考を取り上げずに論じた拙稿は誠に恥ずかしい限りです。あらためて河添氏にも読者に対しても謝りたいと思います。

 ついでにただ少し河添論考について申し上げておくと、〈橋姫〉図においてなぜ薫は狩衣姿ではなく、冠直衣姿で描かれているのかの河添氏の読み解きには賛成できない点もあります。露に濡れた狩衣姿ではなく、直衣姿にわざわざ薫が着替えて、〈かいま見〉しているのは、京から取り寄せたというよりも、八の宮に会うことを前提としていれば、薫は正装に着替えるためにあらかじめ用意していたのでしょう。それで誠実な薫の性格が浮き彫りになるのではないでしょうか。その間の時間経過を含んだ図像形成という〈橋姫〉図を評価したいと思います。

私のお宝紹介(5)

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 拙著『物語絵・歌仙絵を読む―附『歌仙絵抄』『三十六歌仙歌合画帖』』(武蔵野書院)のカバーに使った絵は奈良絵切『伊勢物語』〈河内越〉図で〈かいま見〉の構図として最もよく知られている。

 『伊勢物語』第23段〈筒井筒〉の後半に位置する「風吹けば沖つしら浪立つた山夜半にや君がひとりこゆらむ」と女が詠む場面につながる構図である。

 この場面の図様としては、やはり秀逸なのは宗達筆『伊勢物語色紙絵』だろう。これについては拙著『源氏物語絵を読む―物語絵の視界』(笠間書院)で既に述べてある。

私のお宝紹介(4)

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 拙著『源氏物語の記憶―時代との交差』(武蔵野書院)のカバーの絵は「紫式部石山寺参籠図」で『源氏物語』執筆時の構図である。

 この図様としては考えるシリーズ①『王朝女流日記を考える―追憶の風景』(武蔵野書院)のカバーで使った石山寺蔵「紫式部図」(土佐光起筆)と類同する状況となっている。

 この掛軸は松と紅葉が装飾的効果を上げ、はなやかなたたずまいとなって描かれている。

 ただ私の所有であったのは昨年までで、今は実践女子大学に寄贈して手元にはない。

 

私のお宝紹介(3)

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 葵巻で祭の日、源氏は紫の君と見物に出るにあたって、髪削ぎの儀を行った。成女式であろう。この源氏絵の場面は碁盤上に紫の君を立たせていて、現在でも皇族の方が行う儀式である。

 作例に承応三年版『絵入源氏物語』や伝宗達屏風絵などがある。詳しくは久下『源氏物語絵巻を読む―物語絵の視界』(笠間書院)参照。

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