kuge’s diary

源氏物語を研究している久下からのお知らせです。

久下研究室のHP→http://www.ne.jp/asahi/kuge/h/

近況

新年になって体調を崩し、1月15日(金)から西新宿の東京医科大学病院に、心不全により入院。1月24日(日)にいちおう退院しましたが、2月15日(月)に再び入院予定となっています。

老人になると、このようなことがありますので、昭和女子大学の「学苑」が、11月号及び1月号も未刊となっているのは、まったく困ったものです。
ですから、noteの執筆も中断したままで、誠に申し訳なく思っています。
「卒論の味方」というタイトルも、テレ東の「日本のミカタ」からのパクリであることは明らかなので、「卒論のミカタ」と変更しようかと、病床で考えていました。
「ミカタ」は〈味方〉と〈見方〉の掛詞ですから、先生方にも積極的に閲覧していただければと思っています。

関根賞

 上野英子氏(実践女子大学教授)の著書『源氏物語三条西家本の世界ー室町時代享受史の一様相』(武蔵野書院)と高橋由記氏(流通経済大学准教授)の著書『平安文学の人物と史的世界ー随筆・私家集・物語ー』(武蔵野書院)の二冊が、第二次「関根賞」(第15回)を受賞しました。

 両氏はともに信頼を寄せる女性研究者であり、誠に慶事でさらなる研究に励まれることを期待します。

新着著書

 
 コロナ禍の中で研究が萎縮してしまうのではないかと危惧していたが、noteで俎上に載せた久保朝孝氏の『紫式部日記論』(武蔵野書院の他にここ数ヶ月の間に以下の如く数冊の新刊が贈られてきたので、出版発表活動に支障はないようで安心している。もっとも武蔵野書院が創業百周年記念とやらでふつうなら1年分の刊行に相当するような数量の出版をここ数ヶ月でこなしているようだ。誰の本を記念出版物とするかは武蔵野書院で自由に決めればよいことだが、その選択基準もあいまいなまま、無節操に出版すると不快に感じる者も出てくるに違いない。
 
〇新注和歌文学叢書28『風葉和歌集新注三』(青簡舎)〈贈り主:中城さと子・藤井日出子・乾澄子〉
〇和田律子・福家俊幸編『更級日記上洛の記千年ー東国からの視座』(武蔵野書院)〈贈り主:和田律子・福家俊幸・横溝博・有馬義貴〉
〇廣田收・辻和良編著『物語における和歌とは何か』(武蔵野書院)〈贈り主:廣田收・辻和良・野村倫子〉
〇笹川博司著『源氏物語と遁世思想』(風間書房、2300円)
 
 これら個々の論文についてはいずれnoteで評価批判することになるかもしれません。

noteを始めました

 〔卒論の味方〕というタイトルで中古文学に関する研究を、活字の論文では、かた苦しくなってしまうのを、できる限り平易に書いたものを公開することにしました。

 それは以下のようなタイトルになります。

 卒論の味方Ⅰ

   ~紫式部と『紫式部日記』研究の最前線(1)~

   ~紫式部と『紫式部日記』研究の最前線(2)~執筆計画中


 卒論の味方Ⅱ

   ~『源氏物語』研究の最前線(1)~ 執筆継続中

   ~『源氏物語』研究の最前線(2)~

 卒論の味方Ⅲ

   ~孝標女と『更級日記』研究の最前線(1)~執筆計画中

https://note.com/kugegenji

 

 ※10.11月現在、令和3年1月発刊の昭和女子大学「学苑」寄稿の「『紫式部日記』「御冊子作り」後の式部」執筆のためnoteの続きを一時休止しています。この原稿は本来『知の遺産 紫式部日記・集の新世界』(武蔵野書院)に掲載する予定でしたが、原稿が完成せず、やむなく「学苑」にまわすことになってしまいました。やはり『紫式部日記』は難しいので本文の解釈が整理できない状態が続いています。よって、原稿執筆がいまもって遅々として進みません。

知の遺産シリーズ

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 〈目次〉

 文学史上の『紫式部日記』『紫式部集』―…横井 孝
 紫式部の生涯 ― 『紫式部日記』『紫式部集』との関わりにおいて ―…上原 作和
 『紫式部日記』『紫式部集』の成立―古本系集に増補された「日記哥」から考える ―…笹川 博司
 現行『紫式部日記』の形態―冒頭・消息体・十一日の暁、『枕草子』にも触れつつ ―…山本 淳子
 敦成親王誕生記としての『紫式部日記』―『栄花物語』との関連から ―…福家 俊幸
 『紫式部日記』『紫式部集』の中の紫式部中宮彰子サロンの中の紫式部 ―…廣田 收
 『紫式部日記』『紫式部集』の中の女房たち…福家 俊幸
 『紫式部日記』寛弘六年の記事欠落問題…久下 裕利
 『紫式部日記』の儀礼・服飾・室礼…末松 剛
 『紫式部日記絵巻』の視点―描かれた〈紫式部〉像 ―…川名 淳子
 『紫式部日記』『紫式部集』― 研究の現在と展望―付、主要文献目録(二〇〇〇年~二〇一八年)…上野 英子
 

 《所感①》

 〈知の遺産〉シリーズも『堤中納言物語の新世界』以来、突発的なトラブルにみまわれているが、今回のシリーズ7冊目に当たる『紫式部日記・集の新世界』も編者に関する点であったことに変わりはなかった。言うまでもなく目次を一瞥すれば知られるように、久下と横井の論が一篇しか掲載しておらず、福家氏の論だけが二篇掲載されている点である。本シリーズは編者の論考は二篇とすることがルールであったから、発起人がこのルールを自ら破ることになってしまった大失態を犯している点で今まで以上の汚点であることに間違いないのである。

 久下は「『紫式部日記』寛弘六年の記事欠落問題」の一篇を書き上げるのでさえ四苦八苦していたので、さらにもう一篇を書き上げることが不可能になってしまった。その原因が急激な気力の減退・喪失であったことになる訳だから、どうみても許されない事情であり、世間通念上通らない言い訳ということになろう。

 一方、横井は実践女子大学を定年退職という年次に当たり、余程校務や研究室のかたづけに忙しい日々が続いてのことであったことは推察されるが、これとて企画の段階で確認していたことであり、想定より現実の事態が切迫した困難を伴ったという以外に酌量の余地はない。

 二人の仕事がこのように中途半端であったからといって、もの自体に欠損があったりする訳ではないので、読者諸賢にはご容赦願えればと思う所存である。

 

《所感②》

 数人の方に本書を謹呈しているが、中でも信頼を置いているのが、早稲田大学の非常勤講師を長年勤めている才女で、いつもその返信を年甲斐もなく楽しみにしている。というのも、自分以上に論文の意図を的確に掬い上げて評してくれているからである。

 今回は多少違ったが、おそらくオンライン授業の準備などで忙しさが普段より倍増しているのだろう。以下、文面の一部を引くと

 

 先生の玉稿「『紫式部日記』寛弘六年の記事欠落問題」を拝読し勉強させていただきました。消息部が何故あの箇所に差しはさまれるのか、意図的なものなのか、強制されてのものなのか様々に疑問に思っていたところを、頼通成婚関連記事削除と后母としての倫子への献上という観点からこれまでの諸氏の論を有機的に結びつけられた上で解き明かしていただいたご高論と拝読させていただきました。女房評のところが〈宰相の君観察日記〉として読めるというご指摘も、「戸をたたく人」が実は頼通かもしれないというところも大変面白く、また敦成親王五十日の儀での倫子のふるまいについても、菊を贈ってきたときの倫子の口上についても、倫子の紫式部に対する敵意を読む論には違和感を感じておりましたので、今回の先生のご指摘がすっと頭に入りました。光源氏が紫上に対し恐妻家を演じてみせることで円満ぶりをアピールしているのと同様、満座の席でのこうした振舞はほほ笑ましいものとして映ったように思いますし、菊のこともねぎらい感謝を紫式部に対し示したものと解すことが自然に思えます。一つ不完全な体裁のままで何故献上させたのか、書き直させる時間はなかったのかということが気になっておりましたが、そのことについても寛弘七年当時の、後宮女房たちの人事権を掌握行使していた倫子にとってそのタイミングであるからこその献上本の意味があった、というご高説によって疑問が氷解いたしました。たくさんのことを学ばせていただきました。

 

 なお、拙稿「六条斎院禖子内親王家物語歌合と『夜の寝覚』―『夜の寝覚』の挑発と存亡・序章 その(二)一」(昭和女子大学「学苑」951号、令和2年1月)に対する返信も受け取っているが、そちらは割愛して、別に慶應義塾大学の某教授からのコメントを引いておきたい。それにはひと言こうあった。「論理と証拠で上質のミステリを読む思いでした」。

 この評言は私にとって最も喜ばしいコメントなのである。私は最近論文をミステリー小説の如く成り立たせるように書くことを心掛けているからである。国文学の古典作品や作者には多くの謎が残っている。その解決が急がれるわけだが、一方でそうした謎が多くあることを知らないので国文学への興味関心がわかないのも現状であり実状である。

 

私のお宝紹介(11)

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  ここに紹介するのは、『源氏物語』板本の54冊揃の袖珍本です。

 絵入りなので、その絵を桐壺巻、空蝉巻、夕顔巻から、よく知られている場面を各1図ずつ掲載しました。

 その隣には有名な慶安三年跋承応三年版(絵・山本春正)の同場面を合わせて掲出しておきましたので、この袖珍本の絵は承応三年版の山本春正筆のものを全く同じ構図で稚拙に描いた図様であることがわかります(白い方が承応三年版です)。

平成30年度の論文業績について

 平成30年度の論文は上掲した『知の遺産 狭衣物語の新世界』の二本に続き、ようやく三月に集中して発行にこぎつけた昭和女子大学『学苑』のものがあります。1つは11月号の「資料紹介特集号」において「昭和女子大学図書館蔵『狭衣物語』(巻一・巻二)ー解題・書影ー」で、もう1つは1月号「日本文学紀要」における「末摘花の成立とその波紋」です。

 

 前者は三十年以上前になりますが、私が昭和女子大学に勤め始めた頃、まず図書館の貴重図書にどのようなものがあるのかを確認した時に見出したものですが、その時流布本と見切り、書写状態もあまり好ましいものではないと判断し、いつか時間が出来たら詳しく調査しようと思っていたままで、現在に至っています。

 本年度を『狭衣』年間にしようと思って、あくまでついでにその書影を掲載したというのが実状です。

 

 後者は8月に「『源氏物語』成立の真相・序ー紫式部具平親王家初出仕説の波紋ー」につづく論文で、常陸宮家の姫君である末摘花造型に思わぬ批判が具平親王家の旧同僚女房たちから寄せられることになり、帚木系の物語と紫の上系の統合を図ろうとした作者紫式部は、その試みに失敗して、蓬生巻に末摘花を再登場させることになったのだという『源氏物語』の成立に関わる論文です。

 

 また、3月には実践女子大学文芸資料研究所『年報』第38号の「実践女子大学所蔵 物語関係古筆切目録ー伊勢・源氏・狭衣」において、同女子大所蔵の古筆手鑑『筆陣』の『源氏』と『狭衣』関係の切の翻刻・解説を担当しました。中にはそうとう横井氏の筆が入っている部分もありますが、とにかく研究員としての役割の成果となっております。

 

 という次第で、平成30年度は『狭衣』年間ということになりましたし、他の出版物に学習院大の三条西家本の研究成果なども公表されたりして、本当に『狭衣』の年というにふさわしい年度になりました。

 ブログではすでに新しい年度に移った4月中旬も過ぎた頃の記述となりましたが、関係の先生方に抜き刷りを配送し終わってからのブログでの報告となりました。